大庭のおはなし

 大庭は大庭野とも呼ばれ、広々とした荒野であった。平安時代に鎌倉権五郎景政が田畑として開発、御厨として伊勢神宮に寄進し、大庭御厨(おおばみくりや)と呼ばれたが、当時の地域はもっと広範囲であったようである。

大庭城は鎌倉時代に大庭三郎景親が築いたものといわれ、城跡周辺には現在も、城のあった城山(しろやま)、城の裏の門からきた裏門(うらもん)、馬を清めて支度したといわれる駒寄(こまよせ)、城郭と係わりがあるとされる二番構(にばんがまえ)などの名が残っている。
大庭村は明治11年に大庭村と稲荷村に分かれ、明治21年の町村制施行により、羽鳥村、大庭村、稲荷村、辻堂村の4村で明治村となった。

 昭和47年から20余年の大規模な区画整理により、現在はそのほとんどが住宅地となっている。

大庭のおはなし

大庭城址周辺 航空写真
**昭和45年頃**